全部埋めてよ


   005:あなたの心を切り取って

 冷たい床で靴音を鳴らしながら歓談する。目の覚める青い髪は恐ろしく人造めいた。眼鏡の奥の眼差しが冷たいといわれるが割合感情的なのをハーノインは知っている。年頃も経歴も似ているから自然と群れた。年少でそれなりの任に就くからにはある程度の友好は犠牲になる。明確に馬鹿にした眼差しや卑下や侮蔑はハーノインにとって面倒なだけだった。イクスアインはこれで案外人は悪く無いからちょうどいいとばかりにくっついた。他意はない。ハーノインの側には意識するような理由はない。紺紫の目が時折意味ありげに泳ぐのを無視した。緑玉の双眸は知らぬふうにイクスアインをなだめ見てはあっさりと別れた。イクスアインの方でも深追いはしない。互いに干渉しない微妙な距離感を保っている。それが上手く付き合っていく秘訣だと思う。
 生真面目とも言えるイクスアインが報告へ向かう背中を眺めてからふいと私室の方向へ向かう。軍属として定めた寝床はないに等しい。与えられる寝台がねぐらだ。今回は個室をあてがわれるから上出来だ。あまり大声では言えない機能を持つものとして個人的な空間は重要だ。誰に連絡を入れるかと頭のなかで名簿をめくりながら通信ツールの宛先を順繰りに眺める。鮮やかな山吹の髪をそよがせて換気口の前に陣取る。山吹と栗色の対比も鮮やかな髪は珍しがられて重宝する。額をあらわにするのは隠れた強さの顕れだ。諾々と流されるようでいて近接戦闘を好む荒さがあることにも自覚がある。揶揄するように上から眺めるのは育ちの良い丈ばかりのせいではない。
 通信機器を眺めながらゆるやかに移動する。耳障りな機械音は携帯ゲームの音だ。この界隈で携帯ゲームを喜ぶのは一人しか知らない。そもそもハーノインたちの一連の年少さは例外的なもので同僚や部下といえど年長のものは珍しくない。基本的に作戦を組む少年の中でハーノインは年長だが一般兵や上官を交えるとまだ幼い。そのハーノインよりさらに年少なクーフィアが壁にもたれてゲームに熱中していた。通路は構成上ぎりぎりの幅だ。特別な機材や戦闘機、整備員が行き交うわけでもないこの通路は快適さというより余剰を切り削いでの計算になっている。その通路へクーフィアは無遠慮に脚を投げ出している。避けては通れないしまたぐしかないなと思っていると紅い目線が強くハーノインを射抜いた。
 燃える紅の色をした髪がてんでに好きな方を向いている。ターバンのように巻いた布地が練色の白地であるから髪の紅さは余計に目立つ。まだ成長期も迎えていないような小柄で華奢な体躯に揃いの制服はまだ大きい。裾広がりの袖から覗く手はまだ性差も解らないような繊手だ。がちがちと手元を見もせずにゲーム機を揺らしてボタンを押している。突き抜ける機械音を鳴らしてカチカチと何事かしている。ぶつんと電源を落とした音がするところから察するに記録したのだろう。ハーノインに気づいているにもかかわらずクーフィアは通路に投げ出した脚をどかさない。またごうとするのをクーフィアは明確に阻んだ。
「なに」
「イクス? 何その呼び名」
イクスアインは先程まで談笑していた青年だ。年の頃も出身も同じとあって面識のないやつよりはマシ、という間柄を保つ。ある程度心持ちも知れているから呼び名も親しげな愛称を使う。そもそもイクスアイン、ハーノインと音韻が似ているから自然と略称を呼んだ。イクス、ハーノと呼び合うのは自然な流れだった。まして年の頃も経歴も出身も同じであれば情もわく。
「お前には関係ないな」
クーフィアが年少であることも手伝ってハーノインは冷淡だ。無視できない年齢差がありながら軍属階級では同等だ。それが彼の優秀さなのだと判っていても納得はできない。感情として自分は劣っているという結論を出す要因はなかなかに無視できない。それでも任務の際には年長者としてある程度の責任を負う気になるから業は深い。
 「ねぇねぇじゃあクーは? ボクはクーフィアだから頭をとってクーってどうかな」
「ペットじゃねぇんだからさ」
いつになく絡んでくるクーフィアを押しのけて先へ進む。だいたいにして言いにくぜ。口に馴染むほど呼ぶかどうかだよ。イクスだってハーノだって大差ないじゃない。傲然と言い切るクーフィアにハーノインは嘆息した。子供の理屈がもう判らない。
「どうして駄目なのさ」
「他のやつだって略して呼んでないぜ」
アードライやエルエルフとかさ。言いながら脚は止めない。ついて来られなくなってさよならしても万々歳だ。だがクーフィアは身軽にちょろちょろと後をついてくる。ちゃっかりと隠しへゲーム機をしまって長期戦の構えだ。それならいいじゃない。その理屈はよく判らない。もう私室へついてしまう。部屋へ持ち越すにはクーフィアは面倒すぎる。イクスアインだったらこちらの億劫を悟って引き上げてくれるんだけど。
「オトナの仲間にボクもいれてよ」
「もう何度か誕生日迎えたらな」
暗に阻むことをクーフィアは知らぬふりで食い下がる。判っていないとは思えない。あえて目をつぶっているに違いなかった。なんだいそれ。待ってられないや。紅玉の目線が不満げに眇められる。もともと大きな目をしているからそういう目つきをすると獣のそれになる。
 私室の施錠を解く。閉めようとする扉をすり抜けてクーフィアが入り込む。最年少であるからかそういう子供っぽさを帯びた強引さは容認される。クーフィアは明らかにそれらを識っていて逆手に取っている。お前のぶんの寝台はないぜ。一緒に寝ようよ。しれっと言う深意を探ろうとして嗤ってしまう。こんな子供相手に何考えてるんだろ。
「ねぇさっき何を見てたの。ずいぶん熱心だったね」
「宛先」
応えるそばから通信機器が奪われた。機械操作のたぐいは年少のものの方が何故だか呑み込みが早い。わりと苦労してつけたはずの守護があっさり破られる。あ、こいつ知ってる。こいつも。ふぅん、ハーノインが好みなんだ、あいつら。言い捨てるクーフィアの言葉に険がある。
 ハーノインは溜め息をついてから制服の留め具や釦を外す。クーフィアは男だし恥じるような良好な間柄ではない。むしろ面倒がって嫌ってくれたらいいのに。クーフィアがドサリと腰を下ろす。そこは当たり前のように寝台でうんざりした。それでも誰かの寝台へなだれ込むつもりであったから嫌な顔はしない。永夜の暇つぶしの相手がこのクーフィアでもいいような気がしてくる。ここらでひとつ脅かすのも悪くない。中途半端になめられたままなのは不快だしそういう気も覚悟もないのにちょろちょろされても億劫だ。
「プライベードチャンネルだ。どういう関係なのさ」
「お子様にはわからないぜ」
「ボクは子供じゃないよ」
頬をふくらませる仕草が輪をかけているとは気づいていない。薔薇色の頬はくすみも染みもなく清浄に綺麗だ。そういうところが子供なんだけど。
 制服をハンガーへ片付ける。あらわになる双肩や丸みをクーフィアは舐めるように眺めている。視線など知らぬげにハーノインは衣服を脱いでいく。アンダーシャツまで脱ぐと汗で雲母引きの素肌があらわになる。紅い襟まできっちり着こむ制服は案外暑い。
「なにそれ。ボクを馬鹿にしてるの」
意味が判らなかったのでそのまま黙る。ベルトの留め具を外す金属音だけがする。ボクじゃ狼にはなれないってわけ。ずいぶん行儀の良い狼だな、お前。クーフィアは明らかに不服そうだ。ハーノインもそれ以上突かない。なぁ寝たいんだけど。宛先をスクロールしてたとは思えないね。だからだろ。みるみるクーフィアが不機嫌になっていく。まだ幼い脚をバタバタさせてその不服を示す。靴が脱げないのは長靴だからだ。ボクだって男なんだけど。まだ方向が変わりそうだよな。耳元のピアスを外す。両耳に複数つけるからわりと装飾品のたぐいは持っていると思う。所定の場所へ戻す指先をクーフィアの目線が追う。片耳だけなくすと色々と厄介なので管理は強固だ。
 ハーノインの緑玉がクーフィアを映す。淫らに笑うとクーフィアがどきりと慄えた。
「乗るなら誘ってやる」
「ボクは位置を譲る気はないから」
「だから言ってるじゃん。乗るなら乗られてやる」
クーフィアの口が裂けた。にぃいと裂ける口元が歪んで笑みに広がる。稚気を感じさせる顔立ちでの熟れた笑みは奇妙に娼婦を思い出させる。ハーノインの口元さえも弛んだ。揶揄するように釣り上がる口角が歪んだ笑みで釣り上がる。
「じゃあ相手をして」


 ズルリと闇が蠢いた。寝台の毛布を跳ね除けて起きだすハーノインの隣では全裸のクーフィアが横たわる。ハーノインだって全裸だ。散らばった衣服から探りだした煙草を咥える。ライターを探してゴソゴソ動くものの気配でクーフィアが目覚めた。
「どうしたの」
「ライターがない」
クーフィアは自分の上着を見つけ出すと隠しからライターを取り出す。ぽいと放られるのをハーノインが受け取った。なんで持ってる。入り用になるかと思ったんだよ。ハーノインがいつも喫むから。ボクにも頂戴。子供は黙ってろ。自分だって。俺はもうすぐ解禁だよ。ハーノインは慣れた仕草で煙草をふかす。吐き出す紫煙にクーフィアが細い指を絡める。ハーノインの碧玉はすでにどこか遠くを眺めた。その裡に秘めるものがなんであるかも判らないからハーノインは口にしない。文句も賛美もないそこにクーフィアは必死に追いすがるだけだ。判っていてハーノインに緩める気はない。
 ねぇ、どうして? クーフィアの問いにハーノインが嘲笑った。唇が弓なりに反る。健康的な色艶に埋もれたその紅さがひどく艶めいた。
「ハーノ?」
嘲笑ったままでハーノインはクーフィアと唇を重ねた。ハーノって呼んでいい? 二人きりの時だけにしろよ、バレるから。誰にバレるっての? お前が知らないような位置だよ。色々と手続きがいるんだよ。あぁ、腹が減ったな。用意すれば。ボクは携帯食料しか持ってないよ。品薄だな。皮膚が触れ合う。熱が融け合う。行き交った。

 君を私で埋め尽くす

《了》

ハーノインカワイイです大好き!             2013年7月28日UP

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